所長あいさつ
今、求められる「戦略的福利厚生」
戦後、わが国は“東洋の奇跡”と呼ばれた高度経済成長を実現させた。その原動力となったのはJ.C. Abegglenが、その著書「The Japanese Factory」のなかで、当時の欧米とは異なる経営モデルとして見出した「日本的経営」であった。彼は、この日本的経営の要素である「手厚い福利厚生」にも注目した。当時、企業戦士などと呼ばれ、勤勉で長時間労働を厭わず、豊かさを求めて懸命に働く労働者達を「衣・食・住・遊・資産形成・保障・健康」など実に広範囲の生活領域を支援するシステムとして成立していた福利厚生に瞠目したである。そして高い勤勉性や倫理性、モチベーション、従業員間での一体感、労使協調などの経営的効果を実現させる要因として位置づけた。世界が羨むこれらの経営的効果によって高品質な製品の大量生産に成功し、日本企業は世界市場における成長戦略の優位を確立させた。
しかし、その後、高度成長の余韻を残す時代、豊かな社会を迎えたなかで福利厚生は「企業福祉」と呼ばれるようになる。福祉とは幸福や豊かさへの社会的支援を意味するように、企業が公的支援の一翼を担い、補完する存在として期待されたわけである。藤田紙至孝氏が「生涯総合福祉」を提唱し、各社、福祉ビジョンなるものの策定に注力した。
この福祉という概念が強調されることで、従業員の幸福、豊かさの実現がより重視される一方で、かつての日本的経営で実現されていた企業にとって競争力に直結する経営的効果を求める姿勢は後退、希薄化した。この頃の大企業では同様の制度・施策を提供しようという“横並び”発想が拡がり、個々の制度・施策の費用対効果、換言すれば投資効果の優劣、そして企業戦略、人材戦略との因果性などは論じられないようになる。
今、わが国の企業は世界的には沈滞し、低迷しているといってよい。企業価値ランキングでは、1989年には日本企業は上位50社中32社を占め、トップ5を独占していた。しかし今や50社はおろか100社以内でもトヨタ自動車1社のみである。国家としても、スイスのIMDが発表する2022年の国際競争力ランキングでは、第1位はデンマーク、アジアでは3位のシンガポール、中国17位、韓国27位となったが、日本は過去最低の34位に甘んじた。かつてのトップ国は見る影もない。
日本企業は何を失ったのか。何を間違えたのだろうか。
今、人的資本への投資及び開示を求める市場の声が世界で強まりつつある。その投資の成否が競争力を左右する無形資産の形成を通じて企業価値を決定する時代を迎えたためである。遅ればせながら、これを好機として人材への投資を抜本的に見直し、新たに再構築すべきであろう。すなわち、低迷する付加価値生産性を高めるべく、人材の多様性を受容し、心理的安全性を高め、創造性を喚起し、連続的にイノベーションを実現できる人材基盤づくりを急ぐしかない。こうした新たな人材戦略の一翼を担う方策として、明確な経営的効果を狙い、企業戦略に貢献できる戦略的な福利厚生を模索する必要がある。