福利厚生の目的を考える③…定着性のメカニズム②

  • 福利厚生において最も重視されてきた目的といえる「定着性」について考えるときに、定着、離職に関する理論的メカニズムにの知見を知る必要がある。前回から紹介してきたように、これまで様々な理論が考案、検証されてきた。今回も比較的新しい理論なども含めて解説し、福利厚生との接点、応用性を考えてみたい。
  • 定着・離職研究において新しいアプローチのひとつが「イメージ理論」と呼ばれるものであろう。わが国での近年における若年層の早期離職行動などに対する説明力が高いものとの評価もある。提唱したのはLee and Mitchell (1994) であり、自発的な離職や定着を引き起こす現象としての「システムに対する衝撃(shock to the system)」の存在を指摘した。これは従業員が自己の持つ認識(イメージ)と所属組織や業務の現状との間にギャップやズレを強く認知する状態であり、自発的離職に至るような際立った出来事とする。このギャップ意識というか、ある種の強い違和感が、従業員に大きな影響を与えてしまい, 自らの仕事や勤務企業について熟慮、再考する機会を提供することになる。
  • それまでの理論の多くが離職・定着双方でのメリットとデメリットとの相対比較、総じていえば、伝統的な誘因≧貢献ならば定着、貢献>誘因ならば離職、といったように得られるもの(誘因)、失うもの(貢献)を従業員自身が主観的に比較して行動が決定されるとした利得損失モデルである。福利厚生もこの誘因、つまり定着で得られ、離職によって失うものの代表例と位置付けられていたわけである。
  • しかし、イメージ理論では、定着・離職行動は合理的な比較、メリット、デメリットを冷静に判断するものというよりも、もっと当人にとって重大な「出来事(shock)」によって引き起こされるより心理的、衝動的な行動と捉えようとした。
  • やや難解な用語でとっつきにくい理論だが、言わんとするところはよく理解できる。例えば、ある世界的メーカーに希望をもって入社した学卒新入社員が、毎日の、早朝体操、社歌斉唱、がんばる宣言などの昭和的風景に「衝撃」を受けたという話を聞いたことがある。入社前に夢見ていたグローバルビジネスの華やかな世界のイメージとは、あまりにかけ離れた“古き伝統”、“しきたり”の世界であったのだ。あるいは、社会貢献にも繫がる価値ある仕事だと信じて入社してみたら、営業一辺倒で顧客の利益、社会の利益など全く配慮しない行動を強制されたときなども同様である。大企業の不祥事で若い社員達が大量離職するケースなどもこの種の「衝撃が原因」であろう。もちろん入社後の様々な社会体験のなかで、「本当にやりたい事」に出会うといったポジティブな衝撃もある。
  • 現在の新卒採用ではインターンシップや説明会が頻繁に行われるが、必ずしも会社や職場の実像を伝えきれていない。あるいは「お化粧されたポジティブ情報」だけが伝えられやすい。学生達は自分なりの「仕事イメージ」「企業のイメージ」をそれぞれに持っている。それが上記のような衝撃的な出来事でショックを受けてしまうことで辞表を提出してしまうようなインパクトになるわけである。定着を求める企業としては、この「衝撃」が何か、どこで、いつ受けるのか、を知りたいわけだが、既存の社員たちは人事部員も含めて同化、感化されてしまっているため何が彼らにとって「衝撃」かをなかなか認知できないのである。
  • 高い早期離職率が改善できないままの日本の企業社会にとってなかなか説得力のある理論ではなかろうか。入社後の負の「衝撃」を、離職を決断するレベルから低減させるためには、やはりコミュニケーションが有効となるわけで、特に、ショックを受けやすい若年層を対象として福利厚生でのレク・イベントなどが求められる論拠ともなる。また、福利厚生には、企業に対する「親近感」を生成させる効果が既に確認されており、こうした感情形成も負の「衝撃」の回避、緩和に効果的と考えられる。
  • 最後の理論としては以前にも本欄で詳細を紹介した「負債感理論」がある。これも定着行動に対する説明力を持つものとされている。その中核の概念がGreenberg, Block, & Silverman(1971)などによって「心理的負債感(sensibilities to indebtedness)」と命名されたものある。簡単に言えば、一方的な恩恵を受けてしまって「“借り”ができた」という心理的な状態である。このような心理を従業員が勤務先企業に対して抱くときに、この“借りを返さなければならない”と強く動機付けられる。これは返報性心理といわれるものである。
  • そして勤務先での定着が返報行動として選択される可能性が高い点が重要となる。
  • 周知のとおり、福利厚生は基本的に平等主義、弱者救済の論理によって給付される報酬であって、労働に対する対価性が低い。つまり、成果主義賃金とは対比的な報酬となる。したがって、従業員には「借りがある」「恩義がある」という心理が形成されやすいものとされる。この負債感の形成モデルは既に理論化され、実証されており、負債感モデルと名付けられた。先のGreenberg達の実験によって心理的負債感の形成が、2つの要因によって決定されることが検証された。
  • まず第一の要因が、被援助者自身が認知した「自己利益(Own Benefit)」である。つまり、援助された内容や程度に対して、援助された側がどの程度「役に立ったか」「利益を得ることができたか」という認識の強さである。したがって援助の内容が的外れであったり、あまりに不十分なものであれば、自己利益は小さなものとなるが、大いに助けられたと実感すれば大きくなる。この点は、福利厚生の制度設計・運営に重要な示唆を与えている。つまり、常に個々の従業員の支援ニーズに合致した制度編成、運営を心掛ける必要があるということである。
  • 一方、第二の要因は、被援助者が認知した援助者が援助のために支払った労力あり、これは「他者コスト(Other’s Cost)」と名付けられた。簡単に言えば、援助したくれた人が、大きな自己犠牲を払って、苦労して援助してくれたことを知ると。この「他者コスト」は大きいものと認識される。逆に、他者に任せっぱなしの援助だったり、大したコストも苦痛もない援助である、と認識されると「他者コスト」は小さいものとなる。例えば、同じ質・量の援助であっても、お金持ちが気軽にしてくれるものより、自分と同等、あるいは自分より貧しい人が無理して援助してくれた方が、感謝は強くなるという話である。この点は、筆者は実証分析を行った経験があるが、自社の福利厚生の担当者が「苦労して導入、運営している」と感じている従業員ほど負債感は強くなり、経営者が「苦労して法定外福利費を支出している」と実感するほどやはり負債感は強くなることが検証されている。したがって、担当者や経営者は普段のご苦労、ご努力を従業員に知ってもらうことが大事なのであり、それが定着につながることになるのである。
  • この二要因が加算されることによって、心理的負債感の程度が決定されるというモデルであり、因果関係が次の通り定式化された (負債感 = 自己利益 + 他者コスト) 。
  • この負債感に基づく返報行動は、負債完済までの定着だけではなく、モラールやモチベーションの向上にも繋がるものと見られており、有効な概念である。と同時に福利厚生において活用の余地が大きい定着効果のための理論モデルとして注目したい。
  • さて、福利厚生の最大の目的である「定着性」に関する様々な理論について概観してきた。加えて、その理論的なメカニズムにおける福利厚生の可能性についても検討した。結論的には、これまでのいずれの定着・離職行動を説明する理論モデルにおいても、福利厚生が投入変数として関与できるものであることが確認できた。
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