福利厚生の目的を考える②…定着性のメカニズム

  • 福利厚生を展開する目的として、最も幅広い企業から長く重視されてきたものが「定着性(retention)」であろう。目的の第一番目の検討として取り上げざるを得ないのが、やはり「定着性」となることに異論はなかろう。「定着性」は、いうまでもなく福利厚生だけの目的というよりも、人的資源管理全体での最も基本的な目的ともいえる。特に近年の人材難と高い流動性を示す労働市場では注目度が高まっている。
  • しかし、慣用句のようにこの用語を使われているが、「定着性」と一体何なのか。どのようなメカニズムによって発生する現象なのか、改めて考えておく必要があろう。と同時に福利厚生との関係性も再確認したいものである。
  • Retentionという原語自体の意味は、保留、保持、維持である。それが経営学において、人的資源管理論では従業員を組織内に留めおくこととして「employee retention」として使われ、マーケティングでは自社商品に対する顧客維持として「customer retention」として用いられている。つまり共通することは、組織に対して個人を繋ぎ留めている状態を表現している。では、この「繋ぎ留め」をどうすれば実現できるのか。
  • 定着性に関する研究の歴史は古い。わが国では尾高(1963)が独自に行った帰属意識研究が嚆矢であろうか。これは日本人労働者の高い定着性、勤勉性の解明を試みた研究である。彼は「帰属意識または帰属性とは、ある集団の成員が、たんに形の上で、それに所属しているだけでなく、心から、つまり生活感情の上でも、それの成員であり、その集団を自分の集団、自分の生活根拠として感じる度合いをさす」と記している。
  • この定義のなかの「生活感情」「生活根拠」という点に筆者は、福利厚生との接点が存在することを強く感じている。定着を実現するような従業員の良好な帰属意識を形成させるためには、福利厚生支援によって影響される生活感情を抜きにしては考えられないと注目しているからである。福利厚生の本質的機能とは「組織と個人」、換言すれば「仕事と生活」との間に良好な接点を形成し、両者の建設的な関係性を維持することである。
  • また、この帰属研究で尾高は、「その集団への満足感や信頼感、その一員であることのため感じる誇り、集団への支持」などが帰属意識を構成する要素としている。それらの要素概念が両者間に形成される潤滑油であり、接着剤となるわけである。そしていずれもが今日の福利厚生の目的概念となっているわけである。半世紀以上、以前にわが国で独自に展開されたこの実証研究は、後述するが、その後米国などで展開される「組織コミットメント」研究にも先駆ける優れた研究とされている。
  • 定着性に関する研究は離職研究と表裏を成している。つまり、帰属意識や組織コミットメント研究のような積極的な定着をとらえようとするものと、離職抑制という視点で、いわば消極的な定着を考える二つのアプローチになる。こちらも福利厚生との関係が深いので概観しておこう。
  • 従業員の企業からの自発的離職(voluntary turnover)を解明しようとする試みは労働経済学、社会心理学、組織行動論等々、様々な学際的なアプローチがなされてきた。
  • 経済学での離職メカニズムに関する歴史的な研究としてはG. Becker(1964)の業績がある。彼は人的資本研究のなかで「企業特殊的熟練」が転職等によって持ち出せない、つまり現在の勤務先で蓄積した当人のスキルがその企業だけで通用する特殊(specific)なもので、他の企業では通用しないものであることから、可搬的でなく、たとえ転職したしても現在のような対価として賃金水準の再現が難しいために、転職に対するリスク意識を高めるのであるとした。結果、離職を思い留まらせ定着させる要因となる、というメカニズムを提示した。
  • また同時期には社会学者であるH. S. Becker(1960)が「サイド・ベット理論(side-bet theory )」を提唱し、離職行動の要因研究が行われた。これは年功的な賃金や福利厚生等の付加給付といったサイド・ベット(付属的な賭け)が,先の企業特殊的熟練と同じく従業員にとって可搬性のないものであることから、離職によってそれらが取り返しのつかない埋没費用(sunk cost)となってしまうことから,やはり離職を抑制することになるとした。せっかくの賭け金(勤続、既得権益)を放棄してしまうことを嫌うだろうとわけである。ここで福利厚生(benefits)の存在が明記されている点で、尾高(1967)よりも早く福利厚生の定着効果の理論的メカニズムが明確に示された最初の研究ともいえるだろう。
  • これらはいずれも労働者の賃金や福利厚生といった金銭的報酬という経済的側面に焦点を当てた離職-定着のメカニズムといえよう。しかも、経済的価値のある「何か」を失うことの損失、リスク意識が離職を抑制するという、いわば何か「人質」的なものを取れば従業員の離反を抑制できるという発想が根底にあるようだ。印象的だが、功利的、合理的な欧米人の発想が根底にあるように感じる。
  • 一方、社会心理学や経営学ではもう少し幅広く、賃金や福利厚生といった経済的側面だけではなく職務満足や組織コミットメント、負債意識といった仕事の内容や職場に対する従業員の主観的評価や感情に着目した研究が数多く蓄積されてきた。
  • 例えば、Porter and Steers(1973)やMobley et al. (1979)らによって従業員の離職意向が性・年齢や賃金、労働時間といった客観的な要因だけではなく、個々の主観としての職務満足(job satisfaction)が左右することが検証された。そして、この職務満足の形成には内的要因として従事している仕事内容に対するす満足があると同時に、外的要因としての賃金、昇進機会、人間関係に対する満足などといった両面がある点なども検証された。
  • その後、離職行動を予期するための先行要因としての職務満足の不安定性から、より安定的な予測性に優れているとされる組織コミットメント(organizational commitment)が注目されるようになる。Mayer & Allen(1991)は組織コミットメントには所属組織への愛着、つまり好きか、嫌いかという次元での情緒的要素、組織を離脱することによる損失意識から形成される功利的要素、さらには組織への恩義への返報義務などから形成される規範的要素の三次元から成るものとし、いずれもが離職・定着行動を左右する要因となることを示した。
  •  この他にも定着・離職行動の要因として数多くのアイデアが研究対象となってきた。まず「人‐環境適合研究(Person – Environment Fit/P-E Fit と略称)」として総称される分野がある。離職やメンタル不全を誘発する様々な職場という環境次元と、個人との不適合に着目した研究群である。組織風土や企業文化といった組織特性との個人との相性が早期の離職行動を左右すると考えるものである。確かに、学卒採用では高校・大学といった「教えられ」「大切にされる」世界から、自らの力、努力で組織や顧客への貢献を「求められる」世界への転換には、不適合が生じることは避けられないだろう。この不適合を個人として受け容れられるレベルに制御できるかが、企業に問われることになる。新入社員向けに様々な歓迎イベントが企画されているが、まさにこの不適合対策である。最近の筆者のお勧め施策は“焚き火BBQ”である。ある地方企業が恒例としてする新人歓迎イベントで、既存社員と新人が焚き火を眺めながら飲食、談笑できる時間を取ることが、本音で語り合う効果があり、一気に不適合低減効果をもたらすらしい(?)のである。
  • 組織風土や企業文化といったものは、短期間の就職活動では学生には、なかなか読み切れないものである。また、既存社員にとっても明確には意識せずに醸し出すもので、入社直後には両者の違和感の原因となりやすい。焚き火BBQだけでそれが少しでも和らぐならば、対応策として大いにありだろう。
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