福利厚生と採用②

  • 福利厚生をいかにして採用活動の成功に結び付けていくか。この命題を考える上でまず理解すべきは労働市場の特性である。特に採用における労働者と企業とのマッチングにおける様々な特性を理解する必要がある。労働市場はいうまでもなく労働力という商品の取引市場であるが、他の商品市場、金融市場などと比較すると異なる特性をもった市場である。一般の市場では需要と供給がマッチングするなかで価格が決定する。典型例では石油、為替、穀物などの市場である。そこでは中央的な取引所も存在して秩序だった取引が行われる。また、その取引では需要側と供給側、双方が互いのニーズ情報等が概ね共有されていることが重要である。例えば、石油取引であっては産油国、品質、希望価格、需要予測等々の情報が共有された上での取引の合意形成がなされる。
  • 一方、労働市場がオープンで、分散的で、局所的な市場取引であることに大きな特徴がある。例えば、アルバイトの募集と採用は日本全国で日常的に、常時行われている。中途採用しかりである。新規学卒市場もわが国では学業との両立のために時期的な調整こそなれさているが、実際の取引は長期にわたり全国で自由に行われている。それらの取引情報が共有されているわけでもない。内定(取引成立、価格決定)が決定される時期も長く、不規則である。一方で、中途採用市場も含めて求人数が求職者を大きく上回るような現在のような状況であっても、内定が取れない学生、失業し続ける労働者も必ず発生する。こういう需要と供給の大小関係だけでは解決しない,取引過程の摩擦を,広い意味でサーチ摩擦(search friction)と呼ばれる。
  • また、労働市場は「労働力」という商品が売買取引される訳だが、それが「人間」という特別な容器にパッケージされている点に最大の特徴がある。この容器には感情があり、人権があり、そして個人情報保護も課せられる。また商品としての質、価値はその容器にの良し悪しよって大きく左右される。健康経営が叫ばれるゆえんでもある。
  • こうした労働市場の特性からもたらされるのが「情報の非対称性(asymmetric information)」である。これは各取引主体が保有する取引情報に大きな差がある不均等な情報構造にあることを意味する概念である。つまり、ヒト(労働者)や組織(企業)が保有する情報の分布に大きな偏りがあることを示す。
  • 例えば、就活を行う学生は、就職対象となる企業の情報をどれほど保有しているか。
  • 学生にとってもどの企業が自分の生涯職業生活にとって本当に価値ある会社なのか。賃金や福利厚生などの生涯報酬や就業条件がどの程度か。スキルや人脈などの職業人としての成長、キャリアの発展に不可欠なベネフィットがどの程度、提供されるのか。ましてや、その企業が倒産やリストラのような経営危機に陥る危険性など、広範囲の情報を事前に測定することは不可能である。こうした多様で、大量な情報、入手困難な情報を一学生が複数の企業について完全に得ることは難しく、就活時に提示されるごく断片的な、企業にとって都合のいい情報ばかりとなりやすい。だから内定後に企業破綻や企業不祥事が発覚して内定取り消しといった事態も時折、発生するが学生には避けようもないのである。
  • 前回、「福利厚生が充実している」企業を就活の対象とする学生が最も多くなったとお伝えしたが、では実際に希望する企業の福利厚生の実態を綿密に調査できている学生がどれほどいるか、というと恐らく皆無に近い。配布された会社案内やWebページの情報程度である。もちろん、既存の従業員する自社の福利厚生の実態を熟知している者はごくこぐ一部なのだから当然でもある。企業側が提示している福利厚生に関する情報も、実にワンパターンで面白味に欠けている。米国ベンチャーなどは福利厚生イベントの動画をYoutubeに投稿するなどリアルな会社の雰囲気のアピールに腐心していることとは雲泥の差である。会社も良さ、面白さを伝えなければ非対称性が改善されるはずもない。
  • 労働力を求める企業も「情報の非対称性」という点では同様である。ひとりの学生のもつ労働者としての能力や価値観、生活背景等々を短期間のなかで数回の面接やテストだけで十分に把握することは難しい。人気企業ならば何万人という応募者があるなかで、どの学生がわが社にとって有能な人材、活躍してくれる人材となる潜在力を有しているか、個々の学生の職業人としての価値に正確に測定することは現実的には不可能である。もちろん学生達も就活準備で自分の「強み」だけをアピールしようとトレーニングをするわけで、「弱み」を正直に話したがらない。益々、企業は学生を評価しづらくなる。近年、急速にインターンシップが採用過程として重用されているが、それでもワンデー(一日)型が大半であり、得られる情報は限定的であろう。
  • 福利厚生に関しても学生たちが「福利厚生が充実している」ことを重視し始めたということはアンケート調査などから理解できたとしても、自社の採用ターゲットとなる学生たちが本当にどの制度・施策を強く求めているかを熟知した担当者は多くない。
  • 結局、「労働力」という商品取引を巡る売り手と買い手、つまり学生と企業の双方が不完全な情報の下で「見込み的な」取引を行うしかないのである。つまり完全な情報を得るにはあまりにコストがかかるためである。このサーチコスト(search cost)が高いため需給のミスマッチが発生しやすいことになる。
  • 特に新卒市場などでは、企業は出身大学や過去の採用実績などの基準情報によって初期的なスクリーニング(ふるいわけ)を行い、学生側も、自分が以前から知っている企業、使ったことのある商品を扱っている企業、TVでCMをやっている企業、といった安易に企業の知名度や、従業員規模、売上規模などの情報によって候補企業を選定する。この出身大学や企業の知名度などの情報は「シグナル情報」と呼ばれ、完全な情報を得るためのコストがあまりに大きいときに利用される代替情報となる。このシグナル情報に頼ることで求人や求職にかかる取引コストを大きく引き下げることができるわけだが、情報の非対称性の下でのシグナル情報頼みの見込み的取引が様々な弊害をもたらすことになる。
  • やはり一番の弊害は新規学卒入社の新人社員たちの早期離職問題であろう。七五三問題が叫ばれて既に久しいが未だ改善の兆しは見られない。加えて、若年労働者層でのメンタル不全とそれに伴う長期休業なども続いている。いわゆる入社前の期待とかけ離れた実態を接したときに受けるネガティブ・サプライズが大きいのである。この一連の問題の初期的原因は言うまでもなく採用時のミスマッチである。学生と企業の間での、仕事ニーズ、働き方、能力などで期待と現実の双方からのミスマッチが、不適合を惹起されることで、それが離職やメンタル不全を引き起こすわけである。あまりに早い離職は企業の採用コスト負担を高めるだけでなく、学生たちの社会人キャリア形成の躓きとなる
  • この労働市場のもつ特性、「情報の非対称性」や「サーチコストの高さ」「シグナル情報」、そして多発するミスマッチから派生する早期離職やメンタル不全といった問題含みの市場のなかで、福利厚生の活用を考える必要がある。
  • 幸いにして「福利厚生の充実」に労働力の供給側で高い関心が集まっているわけで、この関心の高さを、この市場特性の中で活かす可能性を探るのである。
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